Q:調弦が難しいです
一応、バイオリンは、低い方からソ・レ・ラ・ミと合わせるとなっていますが、それで他のひとと合わせると音がずれているといわれることがあるので困っています。また、旋律も、綺麗だと思っていると他の楽器と音が合わないことがあるようなのです。
どうすればいいのでしょうか。

A:

 調弦に就いて、楽器と合わせて買ったピッチパイプ(調子笛)や音叉、また電子式クロマチックチューナー等で事前に合わせる、のは間違いではありません(方法は凡そこちらのような)が、ソノマンマぶっとおす、というのは決定的に何かの勘違いをしているか、それら規準装置が圧倒的に音響の原点であると誤解しているかのどちらかだと思っておいて下さい。

 バイオリンに限らず、弦楽器は、ピアノ等予め全く別のサービス或いは設計によって音程を固定して使う楽器と比べると、言い方は悪いんですが相当にいい加減な製品です。でも、それが悪意的にイイカゲンを放置され続けていたとしたら何百年も存在し得なかったのです。そのシーンに合わせて、かなり自由に規準音程を上げ下げ出来る「自由度」を、音楽の世界は利用せざるを得ない何か、必要とされる性能だというところです。

 喩えが変ですが、ロックバンドの編成が、ギターが2本とベースギターが1本と電子鍵盤楽器とドラムスだった、とします。ギターが調子笛で合わせる人とチューナーで合わせる人、ベースの人は音叉で合わせ、鍵盤は設定そのまま440Hz=Aで合わせて、ベードラもタムタムもスネアも兎に角鳴れば良いというのがそのまま合奏したら、先ず、合いませんね。それどころか聴けたものじゃないでしょう。
この例で合わないといっているのは、調律がバラバラということよりも、むしろ各々が手前勝手過ぎて合わない、という精神性の問題です。
成功しそうなバンドなら、先ず、鍵盤の方が一番人と合わせ難い(チューニングがずらせるシンセなら兎も角電子ピアノやオルガンは動かせない)ことが分かっているはずだから、予め合わせたギターを「合わせ直す」筈です。また、ギターはフレット配列や高さが個体毎に微妙に違うのと、弦の押さえ方で音程が上がったり下がったりしますので、お互いの何処をどうするかも、練習中に気付いて揃える努力はするでしょう。ドラムセットも、バスドラムとタムタム、フロアタムの共鳴を美しくするよう調律するでしょう。こういうココロが、生産される楽曲を綺麗にするものです。当然乍ら、演奏中にココはドレを前に出して、とか、ここは沈めてとか、聞き乍ら考え乍ら進行していくでしょう。
特に音程のずれに関しては、ロックバンドに限らずポピュラー音楽は編成が小さい癖にPAで強制的に音像を与える為、ちょっとしたずれだとしても嫌でもハッキリ聴衆がどれだけ大騒ぎしても聞かせるべく届けられてしまいますから大変ですよ。況してやPAは、下手をすると演奏以上にその音楽を形成する権限を行使する立場にありますから、「コイツはどうにもヒクいから」というような烙印をリハーサルの時にでも貰ってしまうと、ステージ1本通しで丸まる、音を「前に出して貰えない」可能性もなきにしもあらずです。

 ヘンなのですが、申し上げたいのは喩え通りです。
 調弦には、正しく合わせるのは必要ですが、それに加えて皆に合わせる必要性もあるのです。

 バイオリンにはフレットはありません。しかし、各弦は各々の規準音を与えなければなりません。それが基本になって、上の方の響きが作られそれが音を大きくもし明るくもし際立たせもします。そういう構造なのです。しかしながら各々、指で押さえるところにはかなりの自由度があるので、その性能が充分使える楽器でもあります。ギターでは、弦同士で足を引っ張りあって響かなくなる和音でさえ、響かせて聞かせることが性能に秘められています。そのくせ、調弦は4本の糸に行うだけでいいのですから便利この上ないですね。

 独奏練習だけなら、何で合わせて頂いても結構ですが、よ〜く聞くと、調子笛やチューナーにぴったり合わせた音だと、開放弦で重音、つまりAD・DG・AEの各々の組合せで弾くと「唸って聞こえてしまう」のが変だと思いませんか。

 さっきのロックバンドもそうなのですが、上手になって来た人は、ギターの調弦をするときに、チューナーで全部合わてさらに、下から2本目のAだけ他の奏者と合わせて、5・7、5・7、5・7、4・5、5・7って低い音の弦からフレット上で音を裏返らせてハーモニクスで合わせます。これは、純正律調弦といって、自分からもう、キイボードの存在をシカトしています。ギターだけ綺麗ならそれで良いだろうというヒトリヨガリです。分かっていれば、「キイボードが平均律」だからと、1弦のミだけチューナーでEをとったり、キイボードからミを貰ったりします。こりゃ、何もそうするのが上級というのじゃなくて音を聞いていればまあ分かりそうな社会性です。でも、キイボードが居ない時は、誰かのギターを規準にして合わせ直すだけにします。

 一応、合奏なようなことをするときは、回りを気にしましょう。その可能性がある時は、何でも信じ込まないで、調子笛や、音叉や、チューナーが、他の人のとどのくらい違っていそうか確かめてみる、位の余裕は持った方が良いと思います。


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 ってこれだけ書いても実は端折り過ぎて話にならないのです。
調子を出した後に付いて来る音階には、ホントにメチャクチャ大雑把に別けて二つの種類があります。ピアノが一般化してそれが全てだと思われがちな平均律という、1オクターブを12でモロに割った音階と、自然倍音すなわち耳で聞いて綺麗な純正律という音階です。バイオリンがちょっと弾けるようになって来ると、「ほんとはこのオト出したいんだけど違うの」という疑問がある音が出て来るでしょうが、その時に他でなっている楽器がそう進行しようとしているのと違和感がある音を感じると、その二つの音律の違いに気付いたことになります。調弦の時に無理にその違いを探すなら、チューナーでA線とD線を合わせて、これを重音で弾いた時に「うなっている」からと、D線を上げ下げしてみて(びみょうですよねえ)「きれいになった〜」ところでD線をチューナーに掛けてみると針がほんのちょっと低いナ、合わせ直そうかな、迷ったな、というところです。そこで迷わずG線もE線も「響き」で合わせて、G線開放弦からG-magorスケール(ト長調音階)をあくまで自然に弾いてみて、最後のGをチューナーでとってみたら、ひとめもりばかり本来のソより「高い」でしょ。殆どのクロマチックチューナーは平均律で合わせてありますからこうなるのですが、オーケストラルチューナーのピタゴリアンモードでやってみるとピッタリ合います。多分、雑念を払って気持ちのいい音階だけを追いかけて、バイオリンでやっても木管楽器でやっても金管楽器でやっても大体こうなっちゃいます。但しそれがいつでも必ず正しいかというとそうでもなくて、自然音階といわれるこの気持ちよく聞こえそうな音階には、和音にすると苦しい重なりを呈する音が幾つかあるのです。ピアノはメッチャクチャ音域が広く固定されるそれまで例を見なかった楽器なものですから、按配よくその具合の悪い重なりを分からなくしてあげる調律法が必要になって採用されたのが平均律だったと思っても良いのではないかと思うくらい、その普及時期が似ているのですが、その後音楽教育の原点になる音をピアノに求め過ぎた極一部の地域では、平均律こそ神のくれたもうた音階だと信じられるようになってしまった模様です。つまり、正確には、どっちが正しいのかという議論こそむしろ無駄な議論だと思って、その時々で綺麗な音の羅列を追いかけていくのが合奏という作業なのだと柔軟に考えて下さいということだと思います。
 これでも、まだ全然正しい説明じゃないと思います。でも、それをいい始めると何百年分丸ごと本にして何冊にも別けて著す始末ですから、好き好きに研究でも何でもして下さい。
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 幾ら平均律がタダしいと理解を強要された所で、やっぱり聞いていると物足りなさを感じるものなのです。先にPAさんに「ヒクいから」と思われるという例を出しましたが、ダイナミックなその楽曲の謳い所に差し掛かって正しい平均律の音階と感情的で華やかな純正律の音階が共に駆け上がって来た時に、綺麗に伸びてこない平均律の奴を「うしろにさげちゃえ」とばかりに思いきりトレブルを絞られるというのが「音楽的調整」なんですね。平均律のピアノや電子オルガンは、そういうときは音を華やがせるペダル操作やポット操作、濁らせる和音を後から叩く等してその伸びの足らない部分を補うワザを使って「魅せる」訳で、それは音楽の中における、個々の社会性が問われる部分です。

 バイオリンの調弦は、イマフウには先ず、チューナーで合わせていいです。ピアノに合わせても、いいです。いいですってそれを推奨するのは、そのほうが、全部の弦のテンションを予め与えておき易いからで、その後必ず、開放弦の重音の「うなりをなくする」方法で合わせる「練習」をして下さい。ビオラでもチェロでもコントラバスでも同じです。が、それで終りではありません。どの位、チューナーの規準音より開放弦の音が低いのか、高いのかを、その後ちゃんと見ておきましょう。合奏の時は、その調弦をもとに、他の楽器の人のと合うかどうか、ちゃんとその時々に予め合わせるのですから、会得する努力をするのも楽しみになって来る筈です。俗にピアノ耳なんていわれる音階感の固定化ですが、それはそういう楽器もあるのだというくらいにしておく柔軟性を、ピアノでない楽器の人はもっていなければならないし、実はピアノの人も、合奏の時はそういう「不利益がある」ことを知っていてそれでも自分の音を前に出す方法を研究しているものだと思い込んでもいいのではなかろうかと思います。そうして、弦楽器であるバイオリンを弾く人は、その柔軟性を享受していくことが建設的な立場の行使です。そして、調弦後も折々に自分は、他の楽器はどうかをよく聞くこと。弦楽器のように官能的に音階を追えない「ピアノ」がいる合奏曲をしているなら、今ピアノは前に出るのか伴奏に廻っているのかという譜ヅラの立場だけでなく、伸ばして重なっている音が合っているかを常に聞かねば、オクターブも伸び上がった先では随分違うバイオリンの自然な音階と固められたピアノやオルガンの音階とでは、辿り着いた先が全然違ってキタナクナッチャッタなんてことになります。調弦は、聞くことの始まりなので、これからやる音楽の序章なんだなぁということです。

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