中古と新作の違い

先ず見識としてひとつ。通常工芸製作の手法を以て作られたバイオリン属の楽器を、次のように分類してステータスとするのが一般的です。但し、何れの場合も、過去の所有者使用者の有無を問いません。但し、常時カタログで選べる「ラインナップ」工業製楽器に対して、バイオリンに関しては一切こういう見方をせず、あくまでも作家乃至はその工房製の「工芸品」に通じる表現です。

ただしここでは、字数を減らす為オールドという表現以外の古いものを総じてアンティークとします。
ちなみに、バイオリン属の「ラインナップ」工業製楽器の古いものは元々そういいます。

バイオリンに関して、余り中古といういいまわしがなく、やれオールドだのモダンだのとなんとも言えない「中古」への分類がされるのを不思議がる人がいるでしょう。これは、バイオリンが持つ楽器としての完成度の価値をそういって謳っていると考えて下さい。
バイオリン属は工業的に見たら完成度の低い工芸品ですが、楽器としての完成度はもう代え難い程確固たるものとなっています。
価格に関しては、押し並べて古い方が割高なのですが、それは別項でも述べますが、元々これらも手工芸品である以前に音楽の為の道具として考案され作られたものです。はじめの頃には、何百年も使われ続けること等思いもよらなかっただろうことは明らか乍ら、その後ずっと殆ど姿や製法を変えて貰えずに作られ続け使われ続けてしまったことから、楽器を取り巻く全ての人のチカラでその時々の最大の完成度を与えざるを得なかったという事実です。経過した所有者もその修理調整をした楽器店も工房も、古くなったそれらの製作に関わって来た、という考え方をした方が理解出来るでしょう。しかしながら、持つ人固有の価値観の違いで、消耗してしまったり、壊されてしまったりした楽器も多数ある訳ですから、何十年、何百年と経過して存在し、今アンティークとして求めうるものに関しては、淘汰を生き抜かせる人の思いが存命を助けたことは明らかですね。それが、古い楽器が高い理由なのです。

普通、一番安全なお買い物というと、新品に限ります。これは、バイオリンでも同じことです。

じゃあ何で新品の評価が百年もたったバイオリンより低い、或いは難しげにいわれるのでしょうか。

ここに至る迄の頁で、やれ調整だの何だの回りくどく書いておりますが、実はバイオリン、またはこの属の弦楽器、新品の状態でばんばん使いうるものというのが案外ないのです。大丈夫OKと店頭に列んだ楽器ですがバイオリンの知識のある店であれば、その店の店員或いは店付きの奏者の御墨付きを与えられるくらい迄は調整されています。でも大体そこまでやっていてくれれば当面はまあまあイケるものです。知識のない店では、メーカーフィニッシュの侭店頭で商品とします。日本のバイオリンメーカーは世界一親切なメーカーです。メーカーフィニッシュでそこそこ使わせてくれます。型番を与えられカタログで選べる楽器なのに、そういう面ではまあまあの安心はあります。でもまあまあなのです。本来は、それだけ仕上げられた楽器が、演奏していく上で不安な面を見い出され、販売後に何度となく調整に戻されるものなのです。バイオリン店の役割は、元々楽器にとってただの店ではなく、そういう調整や小修理を即刻行う「ピット」であり、店員は「ピットクルー」といった一面があります。そういう出入りを繰り返していくうち、奏者は楽器に慣れ、楽器は奏者に馴れつ音に育てられつして店離れとなりますが、また風情が変わったり使い手が変わったりすると始まる出入りです。これは何十年やっても普通終りません。これを指して、バイオリンは完成度としては低いという所以です。
たとえば、当店の楽器は大体店離れする段階迄一応追い詰めて売り出しているのですが、そうする為には相当弾き込むので、楽器には使われた跡が残ることになります。でも、そうすることで安心度は勿論楽器としての安定性も高まるのです。
これが、バイオリンの中古というのは果たして何処からが中古なのかという線引きが難しい原因になります。
かのアマティやデルジュス、ストラディバリ等古典の名楽器は特に、元々今の音楽に合わせて作られていた訳ではないのです。当時はまだ今のようなワウンド弦はなく、ガットの一本張りでしたからゲージも違い、ネックも指板も今のように長くはありませんでした。それがやがて音楽の変遷に合わせ、生まれた時から高級ブランドだったそれらでなくとも、良いと思われ愛された楽器ならば、手直しされ合わせられて来たのです。なにもそこまで古くなくても、百年も経っていれば、何度となくレストアも受けていますし、割れたり減ったりした部分の修理を受けています。オールドやそうみられないアンティーク楽器、ことバイオリンに関しては、大方のものが「修理品」であり「改造品」なのです。それでも今、古いものは新作以上の価値を持つことが多くあります。
また、専ら大家のリサイタルでは、そうした名器が用いられることが多く、それらが奏でる音が至上の弦楽器の音として参照されます。新しいものでも将来はそうした可能性を秘めていますが、今は至上には程遠い音だということです。

中古が新品より高い。

バイオリンは、そういう不思議を運んで来ます。

また、その遠因の一つに寿命の長さを挙げる人も居ます。木管楽器なら、実用つまり金を稼ぐ人の道具として供することが出来るのは20年かそこいらです。その後は練習用や、素人さん向けとなります。ギターは重たいソリッドボディのエレキギターでも、電気系統の劣化の問題からオリジナル侭では精々20年、アコースティックギターではよくて30年といいます。ピアノは、重いことや据え置く為の構造、機械動作部分の存在等から普通に使用されているもので30年、コンサートユースでまめに整備を受け(調律ではありませんよ)ているもので40年といわれ、古すぎるものは雑音を消すことが出来ずプロユースとしての価値を失うものです。金管楽器に至っては、5年という人もいれば、10年という人もいるし、凄い人は毎年買っていますけれど、楽器屋としては、やはり4〜5年で買い替えたほうがいいと言わざるを得ません。そういう中でバイオリンに関しては、開発された当初のものが300年も経って今だに現役なのです。
バイオリンの年間販売個数は、今時は楽器屋でなくても売っている程マーケットを広げているせいか、日本国内だけで6万個とみられています。殆どは当店のお求め易い価格帯のものと同じであると思われますが、何と楽器の癖にそんなに売れているのです。それが開発された当初、まるで音楽等が普及していなかった時代でも、兎に角作れば作っただけ売れたと伝えられています。背景には金銭感覚の違う貴族階級や豪商といった存在がありますが、それらはその後各地でおきた市民革命によって没落し、大きくなり過ぎたバイオリン等楽器の製造業は衰退しましたが、爆発的に放出されてくる、以前の製品の修理仕事が、逆に栄えるようになりました。そういう製造から離れた仕事で、百年以上業界が持ったといわれます。それら楽器の中で、格別修理を受けることが望ましい「程度」を維持していた楽器というのが、バイオリンなのです。程度と言うのは状態だけではなく、その後の音楽の流行に沿わせる手直しが出来、修理し易く事後の完成度を望めたことを指しているのです。流行に沿わせられない、修繕に耐えない種目の楽器は悉く放棄され、新しいものが開発され乗り換えられていきました。大体その時点で既に製造後百年は経つかというバイオリンが修理され、また市場に還っていく。その後産業革命で余暇を得た労働階級が音楽に目覚め、また楽器製造業が叩き起こされる迄、修理品でしのいだというバイオリンの歴史は、寿命の長さを裏打ちしています。その間に発展した音楽向けに、それらは改装されて標準化し、あたかも元からそうだったかのように後世の人に見せている訳です。楽器の中で骨董という見地を許しているものがあるなら、それがバイオリンです。オーボエやクラリネットといった木管や、ラッパの類い、ピアノにも、骨董価値は現れず、古いものは「中古」です。でも、バイオリンだからといって、何も必ず古いからいいというもんでもないんです。

でも、全ての古いものを混ぜこぜにして取り敢えず中古と無理矢理いうなら、オールドでもアンティークでも、まだ年月の若い「中古」といっておいたほうがいい現代品でも、所謂中古品の留意点はあるのです。先ず、最後に分解修理されたのが何時であれ、材木が膠で糊付けされてつくられているものである以上、経年劣化で剥がれて来たり、材料が割れたり、また剥がれや割れを修理した所がほころびたりはするものです。これらに対する修理費は、元の楽器に見合う額となり、至って高額です。響きや音の通りが好みや必要にそぐわないことに気付いても、高価なそれら中古の買手がいつでもあるとは限りませんから、買い換えも侭ならないものです。同じく、代わりの品を買い付けるにしても、そこそこの品は兎も角、大層な額を威張れるものになりますと、大抵は大きなオークションハウスが取扱うのを待つことになりますから、何時持ち替えられるかも分かりません。長い訓練と、現時点でそれなりの地位にあるプロ奏者でもない限り、況してや初心者や、それをこなすことで腹を充たせるような舞台を持たない素人上級者程度では、危ないそれらの買い物に不用意に誘うことは出来ません。しかし、そういう中古品には、数多の人それもかなりの腕の持主が常用し、これでよし、としたお手本的調整が代々為されているだけに、買ったらいきなり舞台で商売ができるという安心材料が秘められているので、その分高価なのだと理解してもらったほうが良いでしょう。

手荒に扱われた安い、量産楽器の中古を買うくらいなら、少し奮発して新品を買ったほうが安全ですがこれは何でも同じでしょう。古さやラベルだけ見て、割安な値段に踊らされて「ふるめかしいもの」を買うのは冒険です。でも、量産の生まれを持つアンティークも、楽器店なりが見い出せば、再び整備されて売り出されます。それには新品では得られない「古さが醸し出す」音色があるからですが、古いだけに、まともな整備がされていないものを単にそういう理由で求めるのは、先ず損失に近い行いだと思っていいでしょう。

要は、自分の持っている「お金」で判断しないで、「腕」を規準にしてバイオリンを買いましょう。

腕がのってくれば、新作マスターメイドもいいでしょう。もっとノリニノッテくれば、アンティーク楽器に手を出してみることも、自然な行いになるでしょうし、見る目も備わって来る筈です。習っている先生から、これを買っておきなさいといわれたから求めるというのは、昔は付き合い上あって然るべきものでしたが、今はどうでしょうね。楽器屋としては、そういう先生がまだいるというのが不思議でなりません。間違いのない買い物の御指南としては、許せないことはないですが、人によってはそれが結果として無駄遣いに繋がらないとも限りません。ネットフリマ等で、習っていたけど罷めたからと売られる相当な額だったであろう楽器を目にすると、他の方法はなかったものか、疑問に思います。その反面で、2坪程の工房で細々と楽しむように時間を掛けて大切に作っているバイオリン作りの人が、数人の先生を販売ルートにして生計の一助にしている例もあります。こういうことが出来る先生というのは、弾く趣味の人に作る趣味の人を繋げる、最高位にいる趣味人としてむしろ敬われるべきと思います。

ただ、どんな楽器を手にしても、なんだこんなものか...と諦めず、楽器屋の戸を叩き、一通り見させたほうがいいですよ。また何か買っても、額が似たようなものなら、結果は同じです。買い物を繰り返さず、それを礎に、新しい世界を開いて下さい。「こんなの恥ずかしくてヒトに見せられない」と、買った楽器を死蔵している人は結構居ますが、バイオリンに限らず、楽器とはこういうものなんだという理解は、演奏しているだけでは教わることは出来ないものです。

新作を売るお店としては、成る可く、可もなく不可もなくとまではいかなくても、大体の人が心地よく弾ける所迄は追い詰めて納めたいものなのです。
大変な手間が掛かります。欧米ではその価格は、量産品に対するものでさえ、大体スタートアップセッティングで300ドル内外に落ち着いています。
そういう訳で本来ならバイオリンには定価は存在しないものなのです。同じような作品でも、お店によってまちまちの値段があるものなのです。それは、手間の値段です。
しかしながら、メーカー品、所謂量産品は大体定価を背負って納入されます。売るほうはなるべく定価より安くして競争力を付けたいものですが、手間がかかる以上、余り割り込むことも出来ません。雑貨屋をやっているのなら、納入侭で売れば良いでしょうが、楽器屋がそれでは何屋か分かりません。だからといって売り値で苦労しない「作品」ばかり扱っていては、量産楽器が持つ安定性と経済性をユーザーに提供することは出来ませんので、量産品も分け隔てなく、持ち前の範囲内で最高の性能を引出すようにセットしますが、そのために雑貨屋さんよりはお高めになったりもします。

おくればせながら申し上げますと、アマティ以降音楽史に名を残した名作家の楽器が、今市中で取り引きされる程こぼれる位出回っているかというと、それは「否」です。大体ストラディバリの真作と鑑定される贋作が2000個もあろうかという世界ですから、もう日本が開国した頃には、既にそういう投機市場は世界中にあり、ありとあらゆる階層の人が鵜の目鷹の目で捜し出し、鑑定され、もはやそれらしきものが隠れていて、況してや家の納戸や倉から現れる等ということは、あり得ません。時々「ストラディバリウス」のラベルが貼られた古い楽器を見かけますが、間違っても、普通の人が持っている限り、また、店頭にあるような状態においても、それは「ストラディバリウス」ではありません。曾てといっても維新以前ですが、産業革命で羽振りのよくなった労働階級に売り易いようにと、それなりの上級品をつくるメーカーに対して、大手の問屋が「そうしろ」といって半ば強制的に「フェイク」のラベルを貼らせ、まあちょっと普通じゃ無理な金額で売ったという経緯があり、その生き残りというものであって、況してそういうものを買う人は特に楽器に執着もないもので使い放題使われるだけ使われた挙げ句普通は薪になったところたまたま生き延びて今鳴っているだけの話です。ただし、こと音の話になりますと、そういう古くなった、余り手が入っていなくて弾き込んでもいない楽器が出すからからの音が好きな人もいるものですし、そうした音色は年月を経ないと手に入らないものでもありますから、古いものが好きな人が十万円位出して買ったというなら納得出来ますが、そういうものを百万で買ったと言われると???となってしまいます。まあ、ある意味では豪傑さんなのだと思っています。仮令知らない名前でも、作者の名と製造年が真面目に書かれたラベルがあるとか、また、無銘(ラベルがない)だったとしても、音とか佇まいとかを後ろ楯にして楽器は商われるべきですし、買われるべきです。

ただ、敢えて申し上げると、古い楽器は間違いなく、凄みを持っています。永年使われることで至る所にある傷、すり減ったり灼けたりひび割れたニス等、古くなければ得られない、人目を惹く外観が、年月を待たずして手に入ります。50年程度も経つと見た目の古さはもうもうとして引立ちます。音も、古い楽器に相応しいものになってきます。それが仮令往時の量産品であったとしても、古さから得られるルックスは、発表会等人前での受けを高めてくれるでしょう。
バイオリンは大昔からある楽器で、沢山の旧作が現役です。
当店のことを申し上げるなら、御案内する新作は特に、音は勿論ですが、装い受けする楽器をお薦めしており、新しくても古めかしく見える仕上がりのものを多く御案内するようにしていますが、結果的に人前に出ることになる演奏という場面において、大方多分におめかしされる緊張にそぐう見映えがきっとお役に立てようことと、考えるからです。
少し上達して来たお子様に古い楽器を持たせてあげるのも経験の一つとしてよいこととも思います。こうした理由から、弦楽器は古いに越したことはないのは明らかですが、将来もっと極めて、古くてボロボロな見かけの楽器を持つことになった時、見かけに吃驚してしまったり、古い楽器の取扱いに拙くて傷めてしまったりということに繋がらないように、古い楽器を使う経験をさせてあげてみては如何でしょう。
まあ、そういう過程のお子様に、新しいのと古いのを弾き比べてみて頂くと、それだけで、大抵古い方をお選びになります。お子様のほうが大人よりずっとピュアで、音色を聞き分けてしまいますし、年月を使って存分に熟成した楽器が軽いことも見抜かれます。御予算の範囲内でよい旧作が入手出来るならその機会を逃す手はなさそうです。

古くても、また新しくても、必ず良いということがないのがバイオリンですが、そのかわり、良い品を求めることを尊ぶ、価値あるプロデュースを忘れたくないですね。

もどる