バイオリンのお話

ここでは、バイオリンのいろいろを、当店の商品のことも交えてお話ししたいと思います。

今年2006年は、クラシック音楽絡みのマンガやテレビ番組(のだめカンタービレとかか?)のお陰かこの業界、結構活気があります。一時は忘れ去られるか、特別なものとして扱われるかひやひやしたものですが、なにをどうしたことか、思わぬ方向からのテコ入れが入った模様で、各社さま気合いもひとしおかと思います。しかし、実際楽器のこと、ことヴァイオリンの話になって来ると、物語のようには平和には参りません。たった500gしかないヴァイオリン、うちではあえてバイオリンということを好みますが、何億円という値が付くものもごろごろあり、案外知られていませんが、音楽学校程度で専門をとる為に千万円単位のものが普通に求められているものです。そんな普通に家が建つ程の金額も当たり前とされるこれらを、私達は数万円から精々数十万円程度で提供しようとしています。値の張るものは大抵の場合はオールドといわれる年数の経ったものとなり、数が期待出来ないというのもありますが、私達の仕事は、より多くの人たちが、危うく特別扱いされるところだったバイオリンに接してくれて、うんと楽しんでくれることを第一に考えているからです。大体今どきバイオリンはクラシック音楽の為のものではありません。あらゆるシーンで必要とされています。まして、ソースを提供してお金を貰う人でなければ、むしろ身近に流れている旋律の方がクラシックの曲目より親しみを感じるでしょう。耳に届き易く記憶に残り易い旋律は、出来るだけ旋律を奏でる性能が高い楽器を使って自ら再現したいと思うでしょうが、それって案外少なくて、思い付いてもいろいろ取り付き難かったりしますが、バイオリンは取り敢えず糸の音を4本合わせて、弓を糸に当てて引き摺れば音は出ますので、探し探し時間を掛けても特にそれ以上の費用を必要とせず時を過ごすことが可能です。それを身近にしてもらいたいばかりに、仮令1万円程度の楽器にもそれなりに手を掛けて、そのお品の程度に合わせた戦力を与える努力をします。もっと綺麗な音や見かけがほしければ、ちょっと奮発して頂ければ結構。ちょっとを超えたレベルのものは、それこそそういう限られた人に、ちょっとちょっとで結構かというところです。
安いからってイイカゲンではありません。楽しめるものを目指して、日々夜長を努力に費やします。

先ず、製法に関して.......

これら安価なレベルの楽器を指して、どうせベニヤ板で出来ているなんて事情も知らずいう人は多くあります。でも、実際にベニヤ板でこの表裏板のアーチを作るにはどれほどの工業力と技術力が必要か考えてみられたことがあるでしょうか。音響を安定させられる程のアーチを得る為には、かなり強く深く板材を圧搾せねばなりません。実はこれ恐ろしく金が掛かるのです。じゃあプラスチックで作ったらどうか、と思いきや、実際弊社社主はやったことがあるのですが、これも、実に大変な、それこそこれさえ出来れば何でも出来る程の精度が必要な超ハイテクでした。「量産」なんて言葉は、その両方とも「実験」に過ぎず、とても商売には持っていけないものだったのです。
ではどうやってこれらは製作されているのでしょうか。

先ず、バイオリンというものを作るには、材料の選定が必要になります。
美しい柄を持つ良材は、製材後、ナタで割った状態で選別されます。バイオリンの表板材は普通スプルースを使われますが、これは元々木が細い為、大抵は一枚の板を断ち割って真ん中に目の密な外側を合わせる接ぎ合わせで作られます。裏材はメープルで作られますが、大きな木を使うと接ぎ合わせをせずに一枚から加工出来るケースもありますが通常は表板と同じように接ぎ合わせます。どちらがいいというものではないのですが、綺麗に目を合わせられる材料は「ブックマッチ」という選別がされ、大体高級品用に取り分けられます。この多くは直ぐ楽器になることはなく、何年時には何十年も乾燥させる為寝かせます。多少いい目が得られるものは、中級品用としてやはり取り分けられ、余り木目がないものは普及品用として、大体即座に売りに出されます。それらを得たメーカーは、その中でも上級のものを作る為にわざわざ乾燥の為に年数を与えたりと手を掛けていきます。

そうして候補に上がった材料を整え、接ぎ合わせて、流麗なバイオリンの裏表のカーブを加工します。
昔はそれこそこれを全て手で彫っていましたが、それが大変だというんで、いろいろ考えたものです。
NCという言葉を聞いたことがある人は多いでしょう。コンピューター制御でデータを端末である工作機械に送りそれに加工させる、今や自動車製造等ではなくてはならない技術です。これらはそれにものをいわせて製作されています。先ず、設計上必要な厚みの製材を用意します。バイオリンでは12mm程の厚みにします。表裏板は共に真ん中で繋いでありますが、これは飾りの為ではなく、製材に発生する反りがNC工作機械を使う上で邪魔になるという意味も最近では現われます。ルーターという機械をコンピュータで制御し、製材を刳り貫いてバイオリンの胴体のアーチを裏表削り出します。現在のNCルーターは数本のビットと呼ばれる切刃を装着出来、F字穴の概略やハープリング(バイオリン周囲に埋込まれている飾り)の溝も、文字通り一気に加工し部品として吐き出すのです。後は、F字穴やパーフリングの溝のルーターでは出来ない細かい部分を手加工し、ハープリングを埋込み、同じくNCベンダー等で作られた(手作業が早いという人もいます)側板やブロックを型に合わせ組立て、糊に硬化の速度が優れたニカワを塗ってプレスで張り合わせます。工業用ボンドが楽そうですが、温度管理等が細かく煩く、完全手作りででもない限り時間が足らず使い辛いものです。パーフリングは手で書けば、と思いきや、自動車のピンストライプと同じで、大量の製品に同じように描ける職人は安くは働きませんし大体仕事量が限られますから、一定の寸法で加工出来る埋込み部品を作ったほうが手っ取り早く仕事が進みますし熟練も低練度で済むのです。某有名メーカーがやっている「プリント式」のハープリングは、とんでもないハイテクです。生憎中国は人口が多く、下手に機械まみれにして機械に慣れさせるより、仕事が出来るようになる方が早い仕組みですから、こういう手作りから離れられないものでも機械力を限定してやれるというものなのです。
なーんだそれじゃ高級品と同じなのか....と思われると心外です。中国でも、最終仕上の部分と、元の「材料選び」の部分はむしろアートに近いものがあり、それなりの優遇を得る特殊技能となります。製材された段階で数少ない良材は、「高級バイオリン材」として弾かれそういう製品向けに仕分けされます。荒削りの製材にちょっと刃物を当てるだけで、また人によっては見るだけで、良品が分かるという職人の世界に入口が支配されています。高級材は、NC機械で加工されるにしても、加工される前にまた長い間熟成されます。何度も機械乾燥がされ、何年も寝かされます。
そういうものが、完全手工しかも主に一人の手になる、私どものカスタムバイオリンのようなワンメイクのお品に使われていきます。
しかし、シリーズで安価にラインナップ出来る楽器達は、良材を弾かれた「残り」の数多い普及品向け材料で作られます。数回機械乾燥され、厚みを機械の要求に合わせ、加工されます。それに使われる日数は一週間かそこらで工程中最も長いです。そして出口である、製品の仕上段階。これは、熟練工がニス迄自作して作る高級品とはちょっと違います。ちょっと慣れた位に教育された工員が、ささっと色を付けささっとラッカー塗装します。但しラッカー塗装は、立派なブースがある大工場の十八番です。案外ラッカーは難しいんです。特にポリウレタン系の合成塗装は、バイオリン程度に施すには余りにも微妙で誰にでもやらせられる仕事になりませんので、普通は昔乍らのアルコールやオイルで溶かれたワニスを用いるものです。高級品の着色や塗装には、数カ月、時には数年掛けられ、加工の日数より長芋のですが、普及向けの楽器達の塗装仕上げは、1日2日で完了となります。それを1日乾燥させ、これまたささっと磨かれます。そうして出来た楽器に部品を取り付け、製品となります。
こうして、ルネサンス期には長年の熟練工が、ふんだんな資金的バックグランドを貴族から得たお抱え演奏家の為に躍起になってつくった古典楽器と同じ形のものが、ほんの何日かで仕上がります。分業が行き届き、一人が幾つもの工程を長期に亘って行うのではなく、これをやる人、あれをやる人、それぞれの専門の工員が、ささっと規格通りに仕上げていくのです。だから、お安くなります。
でも、性能を度外視している訳ではありません。むしろ、製品の性能は、ばらつきなく大体均一というありがたい結果を得ています。

本場と見られがちのイタリアやドイツは勿論、日本でも中国でも、高級機は、勿論始めから最後迄一人のマイスターによって手作りされます。とても長い日数が掛かります。厳選に厳選が重なって非常に高価な、ものによっては半世紀も熟成された材料を使う為、シッパイが許されません。木の寿命の半分も寝かされた材木は、各々に個性が際立っています。それを一層引き立てる為、時間を掛けてそれがもつ音響を引出す芸術品となります。個々に名前が付けられる程です。同じようなことがギターにも言えますが、実はバイオリン程極端ではありません。何れにせよ何故そのような、手の込んだ楽器が必要になるか。それは、音への迷いを断つ最終兵器を欲するという部分もありますが、「即戦力」となる完璧な楽器を要求する危険な現場での仕事に使われるからというのが最も現代的な見方でしょう。リサイタルは、今日思い付いて明日やれるとするなら、精々通り往来での辻披露です。楽器のケースを開いておいて聞いた人にお金を入れて貰うやりかたです。商業的なリサイタルは、興行主が時間を掛けて人選し、出し物を選び、場所を設定して、大勢の人と多数の物資と、多額の資本を掛けて催されます。しくじったらお終いなのです。そこで働く演奏家は、常に「良い楽器」それは、育てるとか変化を楽しむとかではない、持ったその場で完璧に求める性能、音質面では特に音量、強弱の柔軟さ、歯切れの良さを中心に理想と思うものを発揮出来る楽器を求め続けています。自分の技量を安定させ体調を整えることは勿論なのですが、楽器側でしくじられてしまってはその努力が無に帰するだけでなく、興行主や関係者、決して安くない額を支払って遥々聞きに来る聴衆に申し訳が立たないのです。無論、長年幾多の著名な演奏家に使われ続け、完璧な保守と時代の変化に合わせて改造を受けて来た古典楽器は好まれます。誰でも知っているストラディバリやガルネリの楽器があんなに古くてもあれ程高価なのはその為ですが、今となっては余り高過ぎてそういう演奏家全てがそれを支払い切れませんし、長く激しく使う楽器ですから、出来れば作った人に保守を頼みたいと思うものでもあるので、現代の個人製作者や有名メーカーが尊ばれ利用されるのです。
そういう仕事をする人は、2時間のシンフォニーの間、飽くことなく弛むことなく緊張を持続し、表現を研究し、音の粒ひとつひとつを分解して演奏という製品を完成させることが出来る程訓練に訓練を積んで来ています。並大抵の努力では出来上がらない大層な技で、多くの教授が、10才で始めても既に遅いというところです。勿論才能も必要です。私は4才からのバイオリンですが、そういう努力はして来ませんでした。そういう私が、例えば誰か製作家を訪ねて楽器を欲しても、そりゃあ先様は紳士ですから、幾ら心の奥底で、いや、目の奥くらいで、「あんたねえ、ちょとそりゃ幾ら何でも勿体無い..」と思っても、顔にも口には出しません。その代わりに、前掛けをぱんぱん叩き乍ら「ま、それじゃ、これを試してみて下さい」と丁寧に、その人の「習作」の最上の出来のものを弾かせてくれます。恥ずかしいから真似はしないで下さい。それは、私が生来使った「カタログに載っている」「量産の」楽器の中には見られなかった、素晴らしいバランスを持っていてとてもしっくりします。でも、それは「売ってくれません」。そこで、改めて「やっぱりこんなところをお薦めしておきたいのです」と、その人が空いた時間や、製作に疲れた時に手を掛けた、所謂「安い材料」で「暇つぶし」に作った楽器を幾つか用意してくれたりします。これまたとても経験したことがないバランスと見た目の美しさを持っているものです。何をとっても感動です。もうどれを売り付けられても構わない!とその時点では既に舞い上がっているのです。でも、それでも高級乗用車一台分は下りません....。おててがでませんです...

といいつつも、うちではちゃんと、いちいち前掛けを叩いたりしませんが中国の凄腕の製作家の楽器も取扱っております。カタログラインナップ、でも、いちいち注文しないと作りはじめられず三月も掛かる楽器も扱います。何だかいってることがバラバラやってることがメタメタ臭いですが、これらそんなに時間を掛けて材料も選んでいるのにも関らず、日本やヨーロッパなら乗用車1台になりそうなそれらが、「ちょっと奮発するだけ」程度のお値段なのですから、丁度良い奮発アイテムであり、手軽に上級を初級者にも楽しんで頂けて尚克つ一生ものの自信も御持ち頂けるからなんです。

それらのお品に、楽しく演奏出来るよう調律を施して、お届けするよう頑張っています。

完成検査等は

貴重な、長年熟成された製材を使うからには、外れを出しは大変です。が、私達の楽器には当然乍ら、品質としては充分でもこれじゃあちょっと売れないでショ、というのが混ざってしまうのは致し方ありません。幸い、私達の楽器の一部は、私達が作らせ全数買取っている訳ではなく、大手の楽器メーカー(日本の老舗です)がちゃあんと検品して、良品だけを納入される仕掛になっています。検査は、ここが鬼門という箇所に限定されていますから、塗装ムラとか小さな塗装剥がれなど品質に影響しない所には及んでいません。そこまで厳しくしてしまうと七割も弾かれてしまうことになります。それを、総生産数の3割を弾く程度に抑え、それが全体の価格を必要以上に上げない結果を生んでいます。弾かれた「不良品」も音が出ない訳ではありません。立派に鳴ります。何の遜色もなく。それらはもっと安くこれらを必要とする人たちの為に捧げられる立派な製品なのです。よって私達のところに来る製品は、全て恵まれた良品ばかりという訳です。

当店オリジナルのカスタムモデルや、自慢の新ブランド品は、フィルターのない当店特注ですが、クソ煩い当店のフィルターを通しております。余人の介在を許さず、うちが良いと思ったものしか売りません。それをさらに、うち流儀の磨きを掛けてのお届けです。生涯楽しんで頂く1本を作る為に、何ヶ月も取り組んでの御紹介となります。

当店にて

果たして私達が何もしないでお客さまにこれら楽器をおさめるでしょうか。とんでもございません。数十万円を与えられるレベルの楽器は兎も角、この価格帯のこの手の楽器は、製造元には申し訳ありませんが、正直いって「素材」程度のものでしかないのです。当店に送られて来る商品の3〜4割は、不良品として、お客さまの手に渡すことが出来ない程度です。良品といえども少々のことは起きるもんです。最近は、余りに私どもがウルサイことを言い過ぎたせいか、吃驚する程出来が良くなって来ておりますが、それでも、弦高が高過ぎたり、ペグがちゃんとセットされていなかったり、駒が分厚過ぎたり、ナットのアライメントが出ていなかったりと枚挙に暇がありません。魂柱が倒れているのも当たり前ですが、その程度は不良品とはなりません。立て直せば良いのですから。幾ら塗装に難があるとは言え、まるきり「艶消し」状態のものをそのままには出来ません。指板に凹凸があるものもありますが、全体の佇まいに問題がなければ修正は当店の仕事です。そうしなければ、この価格帯でバイオリンを楽しんで頂くことは出来ないのです。安ければその程度。そういう話はしたくありません。せめて、音と佇まい程度は、楽しんで頂けるようにせねばなりません。
極力、目立つ磨き傷は再研摩して「輝きを増し」、弦の位置を合わせ魂柱と呼ばれる振動伝達の為の部品の位置も長さも再調整し、駒の座りと高さを合わせ、糸巻きの滑りを落ち着かせ、糸の並びを出し、試奏して最終確認をし、店頭在庫として保有します。よって、在庫切れでお取り寄せとなった場合、当店に到着してから三日程はその為の時間を頂戴します。
さらに、元々低価格の楽器ですのに、よりによってケースや弓や付属品迄奢られている訳ですから、各々のセット品に多少至らぬ部分があるかも知れません。特に気を付けたいのは、弓の反り具合と、調律笛の極端なピッチずれです。不都合な程反りや捻れがある弓は再調整します。ピッチのずれが大き過ぎて調律にならない笛もそれ自体を調律しますが、適当な性能が得られない場合は交換します。そして、はなから低級な付属の弓には、弓単体で販売されるべくして生産された弓を、それぞれのセットに一つづつ、それも検査調整をして加えます。ですから、当店の販売する最安値の楽器には、2本づつ弓が付くことになるのですが、そのため大幅に稼ぎを減らさざるを得ません。

分数の楽器で練習していて、早いうちに断念した経験がある人は多いでしょう。バイオリンの場合は、続けていくと先ず金銭面で躓くのです。ピアノの場合は、ピアノ教師を最終目標としているメソッドが主流です。1時間程度の教授業務に堪えられ、音楽教師として基本であるリズム感や音感、そして音楽という学問で思考することが出来る人づくりですし、楽器の購入は一度で事足ります。ところがバイオリンは、その他に、身体に合わせて大きな分数楽器を求めざるを得ないのです。分数も1/2程度になれば、まともに鳴って来ますし、それゆえ名の通ったメーカーの中堅のラインナップにも上がりますが、中堅でなくてもあの頃はまだバイオリンといえば結構纏まった出費を要求されたものです。私等は始めた時は先生がなかなかな人で、1/16を、以前やっていた人から借り出して来てくれました。少し大きくなって1/10にする段になってから父が買ってくれましたが、給料の倍といっていたのを覚えています。さらに大きくなると、1/4が必要になってしまったのですが、流石にもう買えない、となってしまい、また先生がもう大きくなった生徒さんから借りて来てくれました。誰でもおいそれと買えるものでなかったから、こうして先生も生徒を繋ぎ止める為にいろいろ策を労じたものでした。こうした努力のお陰を以て、私も今こうしてバイオリンを覚えている訳ですが、生憎楽器は2番目の、1/10だけが手許に残っているだけです。この楽器は日本の有名メーカーの最低グレードのものですが、当時と格段の鳴りを聞かせてくれます。40年近い時を経て、楽器が育って来たようですが、ほんとは幾つもの借り物で変遷して来て淋しい限りです。

当店の楽器はお安いです。でも音には自信があります。充分なセットアップもさせて頂きます。ファーストワンとして安心して御利用しただけますし、何時でもいいものに持ち替えて頂けます。

楽器の性能は

同じ価格でこれだけの性能を、国産や西側各国(古い言い回しです)ではゼッタイ出せない程優れています。どうやったって5倍は出さねば、大体製品になりませんというレベルですので安心して貰って結構です。

ただし、当方で仕入れたマンマで全ての性能を提供することは出来ません。

おもむろに入荷した楽器を開いて、特に新作の楽器をですが、手にとって、いざ試奏しようにも、本来、弦楽器の多くは、「全く使い物になりません」。これは保証出来ます。無理矢理演奏出来る人は、そういうバッドコンディションを克服するチカラをもっている人ということになり、並大抵の上級者でもそうは居りません。それでも何とかヤッテシマエル人はそれで飯が喰えています。楽器屋の仕事は、そういう状態で提供される商品を、「御品」に仕立て上げる最終の段階を担える店なり人なりのことをいいます。

どうしようもない不良品をはじいたり、誰でもそれなりには使える性能を引出したりする仕事、それが我々楽器屋に課せられた使命です。それぞれの楽器が持つ最高性能を追求する作業を終え、納められるべく用意します。

弓の性能は

元来、本体であるバイオリンに必要なものとはいえ、本体にそれなり以上に金も手間も掛かっているのですから、予定価格をオーバーしないように性能は抑えに抑え切ってあります。余りよくない言い方をすれば、元々セットされている弓では、大体のバイオリン教室で使う教本の三冊目以上は絶対やれないといっても良い位ですから、それをこなし切る程度の性能の弓をおつけするのがやり方です。ですから、他のヤスヤスの価格で売られる同ブランドのものよりお値段は高くなります。元々バイオリンの弓は専門の製造者が作っており、お値段も千円から何百万円迄とまあ、青天井なのです。普通は楽器の価格の半分の額のものを推奨される弓。追加する弓は、大体この論法に従っています。青天井の青に近付く程良いものに決まっていますが、そういうものを必要とする筈の「演奏家」は私達の提供する最も安いバイオリンで、しかも元々セットの弓で、問題なくシンフォニーをこなします。「自分の楽器でない」ということのほかは、特にストレスはないようです。が、そこまで腕のない私らは、この追加の弓の性能をことのほか良く感じています。
そういうもんだ、というところで、そういうレベルで苦労しないよう支度はさせて頂きます。無論、御品として納得出来る迄調整をしてのことです。

弦や駒といった部品の性能は

そりゃあ良いものに替えれば楽器の表情は変わって来ます。ただし、それを「良くなる」とは申しません。音色が好みにあうかどうかの問題なのです。ある人は良くなったと喜び、またある人はドン暗くなった元に戻して〜といいます。
でも大体のプロ乃至はそれっぽい人は、標準装備の音を、いい音だ、といってくれるようです。
これもまた、そういうもんなんでしょう。困ったものです。
いずれにせよ、頭から交換したりすることを考えず、一旦は装備されている状態でお使い頂きたく存じます。弦楽器は、新品のうちは日に日に音が変わっていきます。先ずそれを堪能して頂いてからでも遅くはありません。

修理とかのアフターサービスは

私達が扱う楽器の主なものは、大手老舗の企画によるプロパー商品であり、メーカー保証がついています。1年間、自然に発生した破損や不調は修理乃至は交換を受けられます。もし壊してしまったら....。元々、額が額です。落としてしまって裏板が剥がれた程度なら数千円で直せます。でもその数千円が楽器の価格を超えています.....。
バイオリン、それは大変恐ろしい楽器なのです。楽器屋としての見方では。
ふらりと来店の人の、ボロボロのケースの中に、大型ヨット一隻は軽々上回る額を鑑定されるべき楽器が入っていたり、10万円からする高級な皮張りのケースをしずしずそれは恐る恐る開けてみたらうちの御品と同じものが....。ですから、バイオリン屋は、お客さまにケースを開けて頂きます。バイオリンのケースというのは、恐怖のビックリ箱なのです。ふらりな方は頂き物か何かでどうせボロでしょ位にしか思っていなかったその楽器、糸が一本切れたので糸くれというお話。給料の一月分を投じてケースだけ高級な丈夫なものに替えた人は、仮令安くてもその楽器に馴染み、他のものは今さら考えられないと大切に想っている......。
EPレコードのB面の曲に人生を変えられた人もいる位、音楽のもつ力は果て知れぬのです。
だから、全てに対応します。お気持ちがお有りなら。
気持ちに値段は付けられません。容認なされるなら、何でもやって差し上げられます。

楽器の調整は

楽器は、規格通りのなりでは、人により扱い辛くなります。

大体の場合、新品の状態では弦の高さが高過ぎる為、初心者にはとても演奏し辛く思えます。
子供がバイオリンを習いだして、先ず躓くのがそこです。
G弦のG♯が、D弦のEが、押え辛くて指が痛いのです。
これは、弦高を下げる加工で補正出来ます。胴体に付いている駒(ブリッジ)と、糸巻きの直前にあるナットという部品を削って弦の高さ全体を、弦の振動を損なわない範囲で下げ、指の回りを良くするのです。熟練を要する作業ですから素人さんは手を出してはいけません。弦に好みのブランドがある場合等、その弦と本体を送って頂いて別途料金で加工します。
弦の並びも、「あれこんなのでいいの?」と訝る程、相当な額の楽器でも新作ではそういった状態で納入されて来ます。それは手抜きではなく、奏者の好みとかが良く分からないから、製作者は後で調整出来るよう削り込まずに「材料のマージンを残した状態で」納めてくれているのです。
こういう基本的な乗り出しの調整は勿論ですが、フィッティグ部品を格好良いものに替えたり、指板がすり減って溝が出来た等の修理くさい調整も行っておりますのでお気軽にどうぞ。

インターネットフリマ等で、雑貨屋さん的業態の販売店や、製作者と称する人から購入した楽器がどうも馴染めず、こんな値段だから仕方ないとか、不良品だとか思っている人も居られると思います。それは全て、不良等ではなく、調整が出来ていないだけのことなのです。よく外国で聞く話に、ネットオークションで買った300ドルの楽器を使えるようにしてもらったら500ドルも掛かったというのがあったりして、販売者の評価欄に残されていたりしますけれど、本来楽器とはそういうものなのです。製作者は、自分が作った楽器が好きだから、敢えて演奏面で未熟であろう自分に楽器を合わせたりしませんから、やりのこされたことを沢山背負わせた状態で売るのですが、それが楽器を扱えない個人だったりする宛先だと、そう謂われることになるのです。だから製作者に過剰な期待をしてはいけません。製作者は良い楽器本体をつくることに腐心し、よい演奏を常々齎すこと迄カバー出来ません。製作者が即演奏可能というのは、外部的に少しばかり手を入れてやれば、という伏線条項を敢えて公言していないだけ、と、大きめに括って理解すべきです。


番外:分数楽器のこと

フルサイズは必ず大人が弾くものというものでもありません。分数といいますが、1/8以上になれば音量も充分期待出来ます。また、バイオリンを既にある程度嗜んでいる人であれば、1/16や、1/32といった極端に小さいものでも、余興として楽しんで頂くことが出来ます。よって、当店では、分数楽器を必ずお子さまの練習用としては考えません。

分数のサイズについてですが、現在、7/8、 3/4、 1/2、 1/4、 1/8、 1/10、 1/16、 1/32があります。

7/8に関しては比較的新しく、これは4/4では少し大きいかも知れない、との悩みがある成年者で、特にリーチが短かめの、主に女性向けに作られ始めたものです。1/32は割に古風です。身長にして1m足らずの、2才児程度に向けて作られるものです。昔はそれこそ幼い子には皆1/32を持たせたものなのですが、現在、大方の有名メーカーはこのサイズのリリースを断念しています。
分数サイズの規格めいた寸法が確定したのは、80年程前、日本製のバイオリン(某有名S社)がラインナップとして販売する為ですが、これは便利なので急速に全世界に広まりました。それでも1/10というのはとても特殊な中間サイズで、漸く最近になって外国製も見られるようになって来ました。それまでは、バイオリンの寸法というのは、取掛かる子供さんに合わせて作られたといっていいもので、全てオーダーメードでした。規格がなかった時代は、まだスチール弦が一般的でなくガット弦でしたから、弦も上手い具合に都度一本づつ作ろうと思えばやれますから、それほど苦労はなかったでしょうが、工房レベルの話であって、オーダーする買手の方は天井知らずの一点ものになるだけに勇気がいったことでしょう。それを容認させたのは音楽への夢でしょうか。元々、フルサイズに関しても、モダンといわれる1900年頃迄の楽器でも、全長が60cmを超えるような、殆どビオラじゃないかというものから、55cm程度のものでも、フルサイズといわれれればそうかというレベルで、これを4/4として59cmに決めて楽器商が扱うようになったのもそのサイズ割りラインナップの確立以降と見られています。そういう訳で、分数という解釈自体まだそうとう新しいものなのです。で、その寸法の云われは、4/4を1とした、胴の容積比という「つもり」なのですが、実際計算通りの寸法ではなく、とても悩ましいのですが、1という数字を配置して分数をつくり、小型であることを強調しつつ、フルサイズに極近いものに関しては、あとスコシというニュアンスを与えて、「もうすこしだがんばれ」みたいな気持ちを込めたもの、と思っているのが平和です。実際、昔は今程皆大柄ではなかったので、3/4という微妙なサイズがその人にとってフルサイズだった例も沢山ある訳で、実際若手のコンクールでは充分そのサイズで音量的に勝負になってますから、「不都合はないもの」に対して1分数を与えていない、と理解して差し支えありません。
分数は、別の見方ですが、工房の腕とか、顧客の層の厚さを見せつける意味合いが顕著でした。欧米で最近覇を得た中国製品の多くは、分数楽器をラインナップして来ていますが、その為逆に中国製にそれらを頼り、ローカルの製品は無くなったきらいもあります。量産楽器的価格帯のモデルをもつ欧米のブランドは、大体既に中国製の品をOEMしていますので、仮令分数があってももはや自社品ではありません。但し、ことイタリアにおける工房レベルの手製作品に関しては、時折分数も作り出されています。けれども、やはり1/2以上の大型分数ばかりで、それは金額からみて既にコンクールユースとして求める顧客向けである為です。
バイオリン本体はそうしてまだ分数でもちゃんとしたものが得られますが、弓に至っては、今はなかなか、分数らしいものが入手出来なくなっています。昔はそれこそ、細くしなやかで部品も小さく、細い毛を選び毛数を少なくこしらえられた凄い仕上がりのものがありましたが、今は1/16とか1/32とかいっても主に長さが合わせられているだけで、結構野太い寸法割りで、毛も必要以上に多く、小さなお子さんだと、まるで掴んでいるような持ち方になってしまわざるを得ないものばかりです。あたかも一過性の教材として片付けられているようで悲しいですが、その代わり、昔に比べて求め易い値段に纏まっていますので、果たしてどちらが良いかを判断するのはとても難しいです。

大人になってからバイオリンに触れる人にとって、まるで玩具か、楽器店のウィンドウを飾るだけに思える分数サイズですが、実はバイオリンと云う楽器は、その発音の方法が原始的でかつ技巧的な為、取り付きは極力早いに越したことはないのです。実際、この楽器で飯が喰える演奏をする為には、5才で始めたのではちょっと遅い、10才からではもう全然話にならないくらい遅いというものです。触れ始めの早い遅いは、バイオリンを玩具にして演奏して遊ぶことを考えるような大人になってからも、如何に自然にこれに触れていけるかという観点でも差として現れます。よい調整を受けている楽器を理解するとか、弓使いはこういうところに気をつけるとかに関して、大人になってからバイオリンに触れ、それを知るのでは、先ず理屈や道理で分かりようがないのです。これは、バイオリンに限ってのことではなく、器楽全体を指してみてもそうなのです。ピアノやオルガンの類いのように、まさか鍵盤がきしれて動作しない音があるなどあってはならない設備的楽器は別として、あくまでパーソナルな「持ち楽器」では、「ちゃんとした感じ」のものを「ちゃんとつかう」ことに関して、喇叭であれ笛であれギターであれ、他のどんな道具であれ、育ってからある時急に慌てて何かの弾みで取掛かる段階で、それらがどういうことかが分かっていなければ、入口で大いにまごつき躓くことになりかねません。実はバイオリンは、音楽に向かうだけでなく、そういう、「人は道具を使う生き物であり」「道具と云うのはその為にきちんとされているべきもの」という、人間としての手の動きや働きや取扱いを、小さな子供でも、大人の使うそれと全く同じように、ちゃんとすればちゃんと機能し、ちゃんとした結果を出せるということを、まねごとやいたずらではなく、事実として経験出来る、実に実に珍しい環境を齎してくれる道具だと云うことなのです。幼い時からバイオリンに触れ、音を出して使うという経験は、生涯道具を使う人間にとって、道具への真面目な取り組みをする切っ掛けを常々維持出来る、果ては「無駄遣いをしない」「器用な」人になるという大切なことの始まりに出来ると思いますし、むしろ、音楽そのものより、そっちのほうが人間形成としては大切であり、そのために分数バイオリンが現れたと思うほうが建設的なのです。

たしかに、小学校で使う持ち楽器程度の意味としては、音楽それも器楽を体験するという大義名分は罷り通りますし、そうでもしないと全員に購買を強要することは出来ないでしょうが、「器楽等」出来んでも人間それこそ「育つのに問題はない」のです。しかし、何より果たして、そういう経験が全くない人間が、将来、生活や仕事の中で、高価で貴重な「道具や機材」を預かれようものでしょうか。手にしたとたんにサルのように振り回し壊してしまって、その現場の作業を台無しにしてしまうような「いきもの」は人間ではないし、またそういうものが生産現場に存在し人力として機能しそうな風体を晒していること自体、少なくとも義務教育という課程を経て来ている筈の先進工業国家の人民として全く無意味ですから、音楽という場を利用して、道具に親しませるのが本来の目的なのです。バイオリンはそれらより複雑です。見た目で既にいろんな部品が集まっていて、弓と合わせて使わないと機能せず、握って鳴らしただけでは「音楽」は出来ないので調弦をするという下準備も必要ですし、弓に松脂等を塗るという段取りもするものですから、かなり高度な『器材』となります。普通そういうものにお子さま用は御座居ませんが、バイオリンは全く、大人が使うそれと同じプロセスと管理を必要とされるお子さま用がシッカリあるのです。
先ず、これを使わない手はありません。と、私はそう思います。
子どもが頂戴出来るプレゼントの中で、恐らく生涯最高の贈りものとなりうるのは、私はバイオリンだと思います。少なくとも私は、バイオリンに触れられなかったら、今のくらしをしてはいなかったかも知れません。それほどバイオリンから受けた影響は大きいものに感じますが、音楽をして飯を喰っては居りませんし、またそうありたいとも思っていません。

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